オタクが警察に抵抗せずにフェミを敵視する理由
さて、秋葉原で毎年やっている打ち水イベントが警察からの指導でコスプレとメイド服を禁止されたらしい。これは、俺もひでー話だとは思うが、さんざっぱら萌え系オタク文化を非難していたid:kuko_stratosが抵抗しろだのなんだの言っている。
先に言っておこう、正直ふざけんな、という話だ。確かに、警察の指導はクソだと思う、だが散々萌え系オタク文化を腐しておいて警察に抵抗しろとか外野から無責任やことを言うとか頭湧いてんじゃねーかと言いたくもなる。
さて、まず、先日のことだが彼女はこんなツイートをしていた。
こういうの→ https://t.co/g56O6LrNGj が本屋の店先に堂々と平積みにされているさまと、こういうの(もっとえぐいのも)→ https://t.co/6Ql1GZpk1Y が何十万人規模で白昼堂々頒布されていることは、つながっていると思う。
— クーコ (@kuko_stratos) 2014, 7月 30
「(一部の人にとっての)ズリネタ無罪」なのかと。
— クーコ (@kuko_stratos) 2014, 7月 30
それらで「何かを満たしている」人らと、それらがそこらじゅうにあることによって「削られている」人らと。前者が持っている特権を奪い取って捨ててしまえ。後者が削られずに生きることを保障しろ。
— クーコ (@kuko_stratos) 2014, 7月 30
はいはい、よくわかりますよ。まー、そりゃー、少女性やら女性性やらを消費する作品が存在していることが差別的だってのはわからんでもないですよ。
ただ、それでもなお「ズリネタ無罪」と俺は言う。彼女の発言だって「キモチワルイオタクとキモチワルイネトウヨと違う意識の高いリベラルなフェミニストのアテクシ」って言う「(差別的な)ズリネタ」だって見方もできるわけだ。俺は別に彼女がそういう意識高いズリネタ開陳していることがギルティだとは言わねーよ。
まー、ただ「リベラル」で「フェミニスト」な連中が萌え系オタク文化に対してクソだと思っているし、またそれで自分たちが「削られている」んだからこの世から消えてなくなれって思っているのは読み取れるわけよ。
で、以下が打ち水イベントに対する警察の指導についてのコメントだ。
え?コスプレとメイド服ナシでいいの?このイベント。警察が条件に加えてきたっつっても、抵抗してもいいしするべきだと思うけどね。だって理不尽じゃんこれ。なんでだめなの? https://t.co/MayHknbsGG
— クーコ (@kuko_stratos) 2014, 8月 3
私個人はこのイベントについて1ミリも思い入れないし、むしろメイド服等で「見られるもの」として女性を消費するのは基本的に反対だよ。でも、警察がNPO主催のイベントに理不尽な(それも趣旨自体が曲げられてしまうような)「縮小圧力」かけてくるのも絶対反対。
— クーコ (@kuko_stratos) 2014, 8月 3
とかく警察はいわゆる「市民」の活動に対して制限をかけることで影響力を行使したがるもの。それは左翼のデモだけじゃない。「普段と違うこと」「集まること」「意見を持つこと」を明に暗に無力化しようとしてくる。従順にしてたら、またもとの「なにもなかった」状態に戻されるよ。
— クーコ (@kuko_stratos) 2014, 8月 3
それにしても、もう何度かやってるイベントだよね。今になって「コスプレとメイド服ダメ」なんておかしいやん。イベントが年々知名度を得て盛り上がってきてるから水ぶっかけとけってことでしょ。
— クーコ (@kuko_stratos) 2014, 8月 3
まあ実際に許可取りに行く主催の苦労はわかりすぎるほどわかるけど、それでもやっぱり抗うべきところは抗っていかなあかんし、「何かをする」ってことはそういうことだし、警察は常に「何かをする」者の敵としてあるということはわかっとかなあかんと思うわ。
— クーコ (@kuko_stratos) 2014, 8月 3
きのうこれ→ https://t.co/6Ql1GZpk1Y をRTしてくれた50アカウントのみなさんは、ぜひこれ→ https://t.co/vVOn5gRZYb も共有してね。大事なことよ。
— クーコ (@kuko_stratos) 2014, 8月 3
正直、許せんわけよ、俺は。
そういうものを「消えてなくなれ」って思っている連中が警察に抵抗しろって言っているわけだ。心底バカらしい話だと思わないか? 警察に抵抗しました、潰されました、そんで誰が助けてくれるんですかって話だ。
こと、フェミニストは(一部かもしれんが)、実質的に警察や保守勢力と合従連衡して児童ポルノの範囲拡大、フィクションの作品を疑似児童ポルノなどとして弾圧することに加担してきたわけだろ? つまり「(警察が気に食わないから)警察に抵抗しろ」でも「警察が弾圧するなら一緒になって弾圧する」って言っているようなもんだ。
心底アホ臭くなる。
実は、この権力による弾圧との関係については、id:NaokiTakahashiが良いこと言っている。
俺は(正確には分からんけど、少なくとも一年以上は)、「表現の自由」を盾にして自分の表現の擁護なんかしてないと思うよ。そんなもん無力だ、当てにならん、と思っちゃったからだけど。その意味では一貫してるはずだが。
— Naoki Takahashi (@NaokiTakahashi) 2014, 7月 16
俺は、だいぶ前から意識的に、近代政治思想を前提にして論理武装するのはやめようって方向にシフトしてるんだよね。江戸時代の絵師が当時の自由主義も人権思想も近代法治主義もない一ミリも持ってない幕府の取り締まりに大してでもやり通せたやり方で表現を守ることを考えようと。
— Naoki Takahashi (@NaokiTakahashi) 2014, 7月 16
要するにだ、ことリベラルなるもの、左派的なるものは(特にフェミニズムがそこに絡めば)、萌え系オタク文化が弾圧された時に抵抗するのに役に立たなかった*1し、つーかむしろ権力とナァナァでやっていくしか無いってのが現実的な回答なんだ。
さらに言えば、フェミニズムが「少女性や女性性を消費する「ズリネタ」が存在するからこそ女性や子供が抑圧されている。よって、その抑圧の解放のためには「ズリネタ」を排除しなければならない」って理屈を用いるならば、こりゃあ、完全に不倶戴天の仇になる。西洋風に言えばカール・シュミットの友敵理論だ。
そんなわけで、フェミニズム的なるものとはそもそも共存不能であるわけなんだけど、権力は理不尽でクソではあるのだが、少なくとも「お目こぼし」もしてくれるわけだ。フェミニズムの理論を突き詰めれば、ズリネタは常に有罪で排除されるべきものになるが、お上は理不尽であるがゆえに理論的背景無くなんとなくお目こぼししてくれるし、あるいはなんとなく弾圧をする。
だから、俺は彼女の「共有してね。大事なことよ。」って言う戯言は徹底的に批判しなきゃならない。あんたらと共有するものなんて何にもないんだから。