辻元のデマが無くならず、小学生を騙るアホも居なくならない理由

クソみたいな政治

さて、選挙シーズンである。この選挙に関連してクソみたいな活動が展開されている。



左は小学四年生を騙って今回の解散について意義を唱えてみたり、右は右でデマを飛ばしたり演説を妨害してみたりと、まぁ、割とクソな感じになっている。ただ、別にこれは突然急にそうなったわけではない。


左派は急速な劣化を果たし、かつては「科学的」と言われていた彼らはニセ科学を擁護する*1し、かつては「大衆的」とか言われていたにも関わらず、もはや完全に大衆から遊離した理論で活動を展開している。
左派の最大の支持基盤である労働組合は力を失いつつあり「力が弱まる→要求が通せなくなる→組合員が減る→力が弱まる」という完全な悪循環に突入している。新進気鋭のカウンターと呼ばれる勢力は形だけでも左派の倫理を守るという気すらない。
右の劣化もひどいもんである。在特会のような急進右翼が活躍し、そうでなくても自民党に代表される保守と呼ばれる勢力は学問的に完全にアレでナニな歴史修正主義に入れ込んでいる。首相のFacebookに至ってはヘイトコメントが乱舞するありさまだ。宗教勢力が政治に介入し、保守どころではない単なる右の過激主義、反動主義としか言いようのない非現実的な提言を政治家が受け止めるに至っている。
最早、右と左は交渉でも議論でもなく、単なる叩き合いを繰り広げ、自らの失敗を認めず、相手の発言を曲解し、相手を悪魔化し自己を神格化することに汲々としている。
そして意識の高い人はそれにうんざりして政治的無関心を拡大しているか、あるいはそのような状況を嘆きつつ批判を繰り広げている。

なんでそんなクソみたいな事態になっているのか?

オルテガがボロクソに言った大衆は、例えば労働運動、例えば農協や漁協といった生産者団体、あるいは医師会や弁護士会といった職能集団。そういった中間団体に包摂されて、そのチャンネルを通じた政治的単位に編成されてきた*2。ただ、これが失効してしまったという問題がある。結果的にむき出しの大衆が残されるままになっている。これはグローバリズムの進む現代においては、ある意味仕方のないことである。グローバリズムによる平準化は中間団体による特権や庇護というヴェールを奪い取ってしまい、中間団体の存在意義を大きく減じさせてしまった。
そして、そのような状況でむき出しの大衆と政治家がイデオロギーにより直結し、中間団体による妥協や交渉による資源分配が不可能になってしまった今、資源分配のゲーム、いわゆる囚人のジレンマだとかタカハトだとか言われるようなそれは、お互いの状況が見えないためにパレート改善的な安定戦略に陥ってしまっている。東浩紀の民主主義2.0はこの見えなくなってしまった意図を見える化することによってそれまでの交渉や妥協によるパレート効率性を目指すものであるとも見て取れるが、結局それは理性的な市民がその前提として要求されてしまい、オルテガ的大衆には不可能な仕事だと考えざるをえない。
これは、したり顔ではてブで左右の過激な行動や言説を非難する意識の高い連中も同様である。彼らは所与の前提たる「オルテガ的大衆」と「集票マシンたる政党・政治家」を全く無視した空理空論をもてあそんでいるに過ぎない。*3ついでに言ってしまえば、その意識の高い連中ですら、その叩き合いの政治過程に結果的に包摂されてしまっていることがしばしばである。
そして、そのようにして編成された政治的勢力は、中間団体のような共通の利益のために戦うのではなく、イデオロギー的紐帯に基づく神々の戦い、シュミットの言うような友敵に分かれての争いに陥る。この神々の戦いにおいて宗教勢力が政治への影響力を強めていることと軌を一にしているのは偶然ではなく必然である。

アキラメロン

俺にはこれの解決策が全く思いつかない。日本国民の多くが政治的な意識に目覚め大衆から市民へと進化する、などということはまずありえない妄想だ。対立する左右の政治勢力が交渉を通じて妥協し現実的な成果を積み重ねていく、などという変化を受け入れることはありえないし、万が一そんなことがあれば、大衆はすぐにより過激で敵を叩きのめすことに血道をあげる勢力に乗り換えるだろう。
最早、この対立関係を強化し、社会的紐帯をズタズタにしていくしかない。産経新聞櫻井よしこが沖縄をボロクソに言って本土と沖縄の紐帯を破壊するように。左派が自民党の経済政策の成功も失敗も曲解しボロカスに批判するように。そうやって、社会そのものの信頼を破壊し、ゲームにおける相手の意図を読むという行為を限りなく無化していくしかない。そしてすべてが満身創痍となって、一回滅びなければ、この国は変わることが出来ない。いや、それでも変われずに落ちぶれていくのかもしれない。
いずれにせよ、この国の政治はもはや完全に終わっている。政治に参加する者は自動的に中間団体や社会的立場から切り離されたイデオロギー的立場に編成され、そうで無い者は完全に政治を無視するに至る。投票による結果に拘束される民主主義である以上、この状況を内部から変革することはまず不可能である。だから、もはやすべてを壊すしかない。


自民党のスローガンを借りて、俺も言おう「この道しかない」と。

*1:昔もルイセンコ論争なんてのもあったが、結局自浄作用を果たしているのに対して今はそれすら望めない。

*2:往時の社会党は労働界の利益代表であり、自民党内には族議員というような形でそれぞれの利益代表が居た。

*3:俺がブコメでしばしばid:the_sun_also_risesにグチグチ言うのはこの辺の理由が大きい。