「告発されたときに真摯に対応する」のは非現実的だ

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について、まぁ、本文については横に置く。以下の註について異論がある。

こういうことを書くと「何がセクハラかが主観で決まるのは怖い」という人が必ずいる。私はセクハラは「完全になくす」のではなく、「告発されたときに真摯に対応する」ほうが良いと思う。人間関係ではすれ違いはあるものなので、「告発→是正する」ことを繰り返すほうが現実的だ。

http://d.hatena.ne.jp/font-da/20150323/1427092166#20150323f2

単純に言えば、真摯に対応することは「加害者」側にとって決して最善の策ではないのだ。
現実的に、例えば、職場で上司がセクハラをした場合、それを認めてしまってはその「加害者」はセクハラ野郎のレッテルを張られ、人事的に不利益を被ることが明らかだ。場合によってはいたたまれなくなって自主的に退職するといった例もあるだろう。その上で、フェミニストが素直に加害を認めた者に対して、積極的に高い評価をして、その失われた評価を補てんすることなどは想像しにくい。むしろセクハラ野郎を糾弾し、退職して住宅ローンと妻子をかかえたまま収入を失っても何も助けてくれないし、むしろ「ざまぁみやがれ」ぐらいの対応を取るであろうことは想像に難くない。
そして、そうであるならば「セクハラを完全になくす」という方向で動かざるを得ない。しかしながら、そこに人間関係が存在する以上、すれ違いは不可避であるし、またすれ違いを回避しようとする努力はコミュニケーションコストという形でどこかに転嫁されることが必至である。
ゆえに、方法は「セクハラをなかったことにする」か、そもそも極めてセクハラの起きにくい環境、ありていに言えば「ホモソーシャルを構築する」しかない。


つまり、一見現実的な「真摯に対応して人間関係を調整する」という方法は、実のところ現実的ではない。もしそれが本当に現実的であるならば、女性差別やセクハラ問題はもっとずっと前に解決しているはずだ。