詐欺も強盗も自己責任である

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自由な行為の結果に責任が生じる、そして、自由な行為の結果としての貧困は自己責任である。これは、ある意味もっともな話だ。しかしながら、自己責任で自由を行使することを無限に認めるならば、例えば強盗、あるいは詐欺、そういった行為もまた自己責任の下で自由に行うことが可能になる。
別に監獄に閉じ込められる、あるいは命を取られる可能性を甘受する、これは換言すれば自己責任を負うことを認めれば、奪おうが殺そうが一向に構わないという結論になる。id:lets0720は気づいているかどうかは判らないが、自己責任とは単に資本主義の制度下における金銭的な責任に限定されるものではない。革命家やテロリストが自己の信念のために、リスクを負って破壊活動を行うことはまさに自己責任である。単に博打の掛け金を金銭とするのが資本主義のルールに過ぎないのであって、掛け金を自分の命として他人の命を奪うのも、これもまた自己責任の一形態に過ぎない。あるいは、もっとマイルドな形で、マフィアやヤクザといった形態をとって、つまり法的リスクについて他社より比較優位を得た上で市場で戦うという方法もある。反社や反市はごくごく限られた市場のルールで違反を規定されているだけに過ぎず、そもそも自己責任でルールを無視することが可能である以上、それを行うことは何も悪いことはない。
この理屈を使えば、一見自己責任を認めないように見える貧困に対する福祉は、あくまで自己責任の延長線上に定義することができる。つまり、自己責任に基づいて、つまり司法リスクを受け取ったうえで、貧困者が強盗や窃盗をはたらくことは自己責任である以上、妥当である。