死刑廃止論者はこう考えているということをなるべく明晰に書いてみる

モトケン先生の発言について

というわけでモトケン先生が死刑廃止論について、様々な疑念を呈されており、以下のツイートが話題をさらっておりますので、死刑廃止論者として、なんで廃止すべきと考えているかということを説明します。

死刑のメリットとデメリットについて

まず、死刑のデメリットについては、もう多くの論者が述べておりますので今更申し上げる必要は無いでしょうがいくつか簡単に述べましょう。

デメリット

冤罪の際のリスクがある

もちろん、冤罪というのはあってはならないことですし、たとえそれが懲役であろうが罰金であろうが冤罪になれば失われてしまうものは存在するわけです。その意味で、冤罪の議論は死刑廃止の論拠にならないという主張もあるかと思いますが、懲役、禁固あるいは財産刑については、多少なりとも取り返しがつくものですから、死刑の方がより冤罪の際のリスクは高いと評価できるのではないでしょうか?

国家(あるいは政府)が殺人を犯すことになる

まぁ、合法的に暴力を独占する国家が殺人を犯すことそのものは場合によっては仕方ないような気がします。とはいえ、けっして良いことではないと言える*1かと思います。

国際的な潮流に反する

現在、多くの先進国で死刑廃止の潮流にあります。日本が死刑制度を存続させることにより国際的評価下落や外交上の課題となるリスクは十分に考えられるでしょう。

メリット

犯罪者を永久に隔離できる

いわゆる特別予防効果というやつですね。これはもちろん存在しますが、仮釈放の無い無期懲役等で代替することは可能ですし、稀な例でしょうが、刑務所内で危険な場合であれば独房に収容することで基本的に問題は解決できると考えられます。

死刑を恐れて犯罪をしないようになる

いわゆる一般予防効果というやつですね。ただ、これはモトケン先生も言うように実在するかを判断するのが非常に難しいです。私としては、死刑にならないからと言って、以後生涯の自由が奪われる場合に殺人をしようと思うかというと、そんなことはないように思えます。

遺族や関係者、社会の感情を慰撫できる

当たり前のことですが、殺人の被害者は加害者に対して激しい可罰感情を持つことが多いです*2。社会全体の意識として悪辣な犯人に対しては死刑を求める声が高まるでしょう。
また、多数の無辜の人を殺害した犯人が死刑に処されることにより、人々の法確信が高まるかもしれません。

警官による殺人が減らせる

殺人罪が無い場合、警察官が現場で殺害することが事実上の死刑になってしまうというリスクがありますから、これを回避できるというメリットはあります。しかしながら、警職法もありますし、日本はアメリカのような銃社会ではありませんから、警察が身を守ることや市民を守るという名目で、積極的に射殺を行うようになるとは考えにくいと思います。

受刑者にかかるコストが削減できる

確かに死刑にしてしまえば以後金はかかりませんが、死刑制度を維持運営するためにも当然にコストがかかっていることを考えると、一概にどちらが安いということは言えないと思います。また、死刑囚がそんなに大量に存在するわけでもありませんから、たとえコスト減になるとしても、大きな効果は望めないと思われます。

死刑の本質的なメリット

このように考えると、死刑の本質的なメリットは、遺族や関係者、あるいは社会の感情を慰撫し、あるいは法確信を高めるといったところにあると考えられます。人を殺した者が裁かれ死刑になることは、素朴な応報であり、私も教育を受けていなければ頷いていたでしょう。しかし、私はそこに疑問を感じるのです。

なぜ私は死刑に反対するのか

私が死刑に反対する理由は、要するに合理的なデメリットは認められるが、合理的なデメリットは認められないということです。端的に言えば応報や報復という感情は合理的ではないと私は考えるのです。
応報や報復という観点から言えば、要するに死刑は国家が遺族や関係者や本人、あるいは社会になり代わって犯人に対して報復をするという行為にほかなりません。しかしながら、国家は復讐の代行機関であるとは考えにくいでしょう。国家が犯罪者を裁くのは、法的安定性を維持し、法確信を維持し、社会を安全に保ち、あるいは犯罪者を更生させるためです。決して報復をするためではありません。
しかるに、国家が死刑を廃止したところで、法的安定性が失われ、あるいは法確信が失われアフリカのログステートのように誰も法律や政府を信じない北斗の拳の世界がやってくるのでしょうか? あるいは日本の刑務所は脱獄し放題で犯罪者を収監してもすぐに自由の身になってしまうのでしょうか? それとも不正に持ち込まれた携帯電話で外部に指示が出し放題なのでしょうか? どれもそんなことはありません。
次に、私やこれを読んでいるあなたは付属池田小事件の宅間守秋葉原通り魔事件の加藤智大、相模原事件の植松聖が死んだところで、何かが変わるのでしょうか? 私は彼らが死のうが生きてようが死ぬほどどうでもいいです。自分の親兄弟が殺されたというなら、復讐の一つもしたくなりますが、それですら国家に代行してもらおうとは思いません。彼らが刑務所に収監されていても、あるいは死刑になっても私にとっては、あるいは多くの国民にとっては何の関係もないことです。彼らが死ねば金一封が出るわけではなく、せいぜい「悪い奴が死んだ」という、せいぜい聞いて気分スッキリする程度のニュース以上の価値はありません。出来のいい映画の一つも見た方が、よっぽど気分が爽快になることでしょう。
つまり、無関係の極悪人が死刑になるからといって、それは本質的に死ぬほどどうでもいい事態であるのですから、実質的なデメリットと勘案すれば賛成できないということになります。

死刑廃止の例外

死刑廃止国であっても、外患罪内乱罪のような国事犯、反乱や抗命、敵前逃亡や利敵行為といった軍法については死刑が廃止されていません。しかしながら、これは一般の犯罪とは大きく性質を異にするものです。
これは、国家に対する敵対行為であり、敵対行為を行う者、つまり敵であるからこそ命を懸けて殲滅をしなければならないものです。しかしながら同時に、敵であるからこそ正々堂々と名誉を持って全力で殲滅しなければなりません。これらに銃殺をもって臨むことは、名誉の面から言っても妥当だと思われます。



ブコメ回答id:aw18831945
すこし、分かりにくかったので補足。
要するに、犯罪者を裁くのは、ある政治的編成をされた集団のメンバー(友)が法を逸脱した場合、隔離矯正するためであると考えるなら、そもそもその政治的編成をされた集団の「敵」(裏切者)に対しては、死刑、より厳密に言うなら戦闘行動としての殺傷を行うことに矛盾はないかと思います。

*1:悪いことだと糾弾する意味ではなく、やらないで済むならその方がマシだというような意味です。死刑は良いことだからじゃんじゃんやれという人はあまり居ないでしょう。

*2:注意しなければならいこととして、殺人は家族内のものが多いので、その場合遺族は非常に難しい感情を有する場合が多い。