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「死刑廃止論の例外」についての回答

nacht.hatenablog.com
こちらのエントリについて、回答します。
まず、背景として「死刑廃止国であっても、外患罪内乱罪のような国事犯、反乱や抗命、敵前逃亡や利敵行為といった軍法については死刑が廃止されていません。」と書いていますが、実際にイタリアなどの戦時軍法では残存している国が死刑廃止国としてカウントされています。なんで、そうなのか、というのが疑問になるので、それについて考えてみましょう。
まず、指摘の通り、通常の死刑に見られるデメリットは軍法や国事犯にも見られますし、実際にそれが濫用されたときのリスクは通常犯罪に対する死刑よりも重大な結果をもたらすことは歴史が示しているとおりです。その点はもちろん承知しています。また、これらの犯罪に対して必ず死刑を適用しろという趣旨でもありません。当然、拷問や洗脳をされたり、家族を人質に取られてといった場合は情状酌量されるでしょう。


翻ってメリットが無いという議論の方を見てみると、要するに私の主張の核心は「国家は復讐の代行機関ではない」「近代的な刑務所制度が整備されていれば法確信が損なわれることはない*1」「個人的に無関係の犯罪者が死んでもどうでもいい」という3点です。このうち、2番目については、国事犯や軍法であっても通常犯罪と条件は変わりはありませんから、問題は1つ目の「国家は復讐の代行機関ではない」ということと3つ目の「個人的に無関係の犯罪者が死んでもどうでもいい」ということの二つになります。
国事犯や軍法の重大な違反というのは、通常の犯罪が「国家の中におけるトラブル」であることと異なり「国家に対する敵対行為」という風に見ることができます。つまり、ここでの議論は「国家に対する敵対行為」に対して国家がどう臨むのかという問題になります。これが「国家に対する敵対行為」であるとすれば、当然にそれに対する対応は「誰かの復讐の代行」ではありません。これは、国家という主体と当該の主体との間の相互の敵対行動であって、いわば戦争において敵兵を殺害することと変わりはありません。国家の内部は法が支配していますが、国家の外、国家と国家の間や、国家と他の主体との間は基本的にはアナーキーですし、そこで何かを求めて殺し合いをすることは、それはそれで合理的であろうと私は考えます。
また、これが「個人的に無関係」なのかという点についても、例えば戦争においてある兵士にとって敵兵は、ある意味個人的に無関係であるのは否定できませんが、しかしながら、あくまで「敵」であり、相互に納得の上で殺し合いをしている以上、無関係とはいえないでしょう。然るに、私は国家の成員であり、その意味で無関係ではない「敵」に対して(間接的に)殺害に及ぶことは、当然の話であろうと思います。
もちろん、国民の為に国家がある、というのは当然の議論です。しかしながら、国家が内と外を分けるものであり、かつ国家の外がアナーキーであり、また相互の敵対行動の間で殺害が生じるのは当然であるとするならば「犯罪者を裁く」という意味ではなく「敵を打ち滅ぼす」という意味で、国事犯や軍法の重大な違反という「国家に対する敵対行為」について死刑で臨むのは妥当性があると私は考えます。
角田美代子がどんな犯罪を犯そうとも、その当事者以外にとってはある意味関係のないことです。また、国家も「治安を維持する」とか「被害者を保護する」ということ以上に介入をする口実はありません。対して「国家に対する敵対行為」は国家とその成員全員に対して喧嘩を売っていることであり、もはや狭義の「犯罪」ですらないものですから、これに対して相互の敵対行為として殺害をするというのは妥当性があると私は考えます。

*1:この点で、いわゆる最貧国等の近代的な刑務所制度が整備できないところでは、死刑はやむをえないという議論は当然にあります。